大猿川周回尾根

 群馬県粕川村(合併により前橋市)は南北に細長い地域で、上は赤城の小沼辺にまで達する。
その小沼から流れ落ちてくる川が粕川で、長い尾根を挟んで東に大猿川が流れている。その尾根を「つつじヶ峰通り」といい、上部の「横引き尾根」から大猿側を挟む尾根筋は「小峰通り」と呼ばれている。今回はこの大猿川を周回する尾根コースを歩いた。


 館林を7:30に出発して、足利で山仲間を一人ピックアップし、途中コンビニに寄ったりして登山口の大猿親水公園に着いたのは9:30です。この赤鳥居は、「おおさる山の家」の奥にある澳比古神社で、変わった猿の神像があるそうです。そうと知れば、是非とも拝見してみたいですが、ネットで知ったのはハイクの後でした。こういうのを後の祭りというのでしょうね。
 もっとも、今回は10人の大所帯メンバーでしたので、個人的なわがままは控えなければなりません。メンバーの一番最後について、写真を撮り撮りゆっくり歩くのが、せめてもの抵抗(?)です。なんていいながら、実は山歩きは好きですがハァハァして苦手なのです。皆について行くのでせいいっぱいなんです(^_^;)

 左が朝の出発時、右が下山して撮ったものです。これで分かるように天気は朝のうちは曇りで、もしかして、雨になっちまうかも〜なんて感じでした。背景の山が横引き尾根です。これを歩いてきたんだなぁなんて感想を書いてしまうと、話は終わってしまいますから、この辺で先に行きましょう。

 花があれば撮りたくなります。これは鳥居を入ったところの広場の脇にに咲いていたアヤメです。でも、私のデジカメはどうも紫系を青系に写す癖があるようです。こんなに青いわけないですよねぇ。でも、修正するのもうまくできないのでこのままです。

 右の写真はクリンソウ(サクラソウ科)です。澳比古神社の手前、登山口近くの小さな湿地のような池の傍に咲いていました。でも、野生ではなく植栽した感じがしますね。上のアヤメもおそらくそうです。なんせここは親水公園で整備されてますから・・・この日も、大勢の親子さんがいました。自然に親しむ会とかのイベントがあったようです。

 

 階段道は西の不動大滝の林道から上ってくる道と合流地点まで続きます。そこからは、しばらくは快適な尾根道になります。時折薄日も差すようになりましたが、展望はあまりないようです。もっとも、私は下ばかり見て歩いてました・・

 周りにツツジの樹木が多くなってくると、だんだん険しく急登する感じになります。この辺は休み休みですね。ミツバツツジやヤマツツジはさすがつつじヶ峰というくらいで、登山道はそんな中を通っています。でも、咲いているのはほとんどありません。もう散ってしまったらしく思われました。

 そんな中で目に飛び込んできたのが、大きなミズナラに寄り添うようにして咲いていたヤマツツジです。標高をあげるにつれ、これから咲き出すのもあるかもということで、先を登るのが楽しみになってきました。

 右が本日最初の難所です。両サイドが崩壊して切れ落ちています。平均台を渡るように行けばいいのですが、ちょっとばかし怖いですよね。 赤城山は若い時代の火山ですから、いたるところでこのような崩壊が進んでいます。黒っぽく見えるのはおそらく溶岩だと思います。いづれはここを通れなくなってしまうかも。

 つつじヶ峰への登山は、いきなり丸太の階段道です。これって疲れるのですよねぇ。コレが約20分ほど続きます。

 不動大滝でしょうか、西の斜面の下のほうから水音だけが聞こえてきます。

 余談ですが、上毛カルタに赤城山は『裾野は長し赤城山』と詠まれています。その裾野の広さは富士山に匹敵するかそれ以上だそうです。大沼(おの)や小沼(この)は噴火口にできた湖ですから、大昔の群馬には富士山より高い山がそびえていたかも知れないですね。
 全山が真っ赤に染まるほどツツジが多いので、赤城山というのだと聞いたことがありますが、鳥居峠下の「御神水」近くの案内板には、アカとは古語で水のことだとかの説が書かれています。この説では水の多い山だからということになりますね。いずれにせよ、赤城山は緑豊かな名山です。

 崩壊地を越え、少し行った上で休憩したのですが、登山道脇にヒメシャガ(アヤメ科)が数株咲いていました。栽培物(?)を売っているのは見たことがありますが、野生で自生しているのは初めてです。淡い色をしていて、なんとなくひ弱そうですが、きれいな花びらです。ちょっとピンボケなのが残念。

 キノコはよく分からない不得手な分野ですが、右のキノコはヒトヨタケ。アルコールといっしょに食べると吐き気や動悸がし、今度は飲むたびにその症状が出るそうです。酒好きの私としては、絶対に手を出したくありません。禁酒をしたい人は食ったらいいかもしれませんねぇ。

 サラサドウダン(ツツジ科)、登山中この木1本しか気づきませんでした。ドウダンツツジの仲間ですが、色が入って可愛いです。

 ツクバネウツギ(スイカズラ科)、ラッパ型の花の元にある5枚のガク片は果実になっても先っちょに残ります。その果実の様子が羽根つきの羽根に似ていることから名づけられたそうです。花の時期に見たのでは、どうしてこんな名前なのか分かりませんよね。

 ミヤマニガイチゴ(バラ科)、これは里山で見るニガイチゴの仲間で高山型です。私は木苺がなっていたら口に入れてみることにしています。もっとも、木苺に似た実もあって、口の中がトゲが刺さったようにがらがらになったことがあります。それ以来けっこう慎重ですが、このニガイチゴは食べたことがありません。ニガイチゴの実とわかっていたら、どんな風にニガイのか食べてみたいです。

 標高が上がるにつれ、咲いているヤマツツジがだんだんと増えてきます。

 トウゴクミツバツツジとヤマツツジで登山道がトンネルのようになっています。花のハイシーズンはさぞかし素敵なんだろうな、と想像を膨らまします。

 急に展望が開けたところに出ました。ここは標高1300mあたりです。これまでの長い登り道は樹木で展望がなかったので、思わず声がでてしまいます。やはり、山歩きは展望を楽しめるのがいいですね。左の写真は銚子の伽藍の切れ目あたりでしょうか。右は帰路に通る小峰通り方向です。日が差している辺りの新緑がとても美しく見えました。ここから少し登ったところに「さねすり岩」があります。

 貧しい御家人だった太田蜀山人は文化文政の頃、一世を風靡する狂歌の作家になりました。今でいうマスコミの寵児ですね。この岩を「さねすり岩」というそうですが、傍らに彼の歌碑が建ってます。
ちなみに、『さねすりの岩を跨ぎて紅つつじ麓の茶屋のたぼのゆもじか』というのですが、「たぼ」というのは若い女性のことだそうです。狂歌らしく、なんとなく艶めいて感じられますね。それがどうしたなんていいたくなりますが・・・

 つぼみばかしだなってヤマツツジを見ながら上ったら、ヒョッコリと横引き尾根にでました。

12:30です。皆はここを左折して、「銚子の伽藍」方向に進んだようです。

 腹がへったぁと思いながら歩いていると、シロヤシオの群生地になりました。花の真っ盛りです。

 五葉躑躅ともいい皇室の誰かさんの紋章になりましたよね。美しい花です。

 五葉躑躅は別名「松肌」とも言います。樹肌が松によく似ているからです。

 ミツバツチグリ(バラ科)だと思います。伽藍へ下りる道と展望台へ上る分岐に咲いていました。ヘビイチゴとよく似ていますね。

 展望台手前のシロヤシオに囲まれた狭い台地上で思い思いに昼食。12:50です。丸君の入れてくれたコーヒーを飲んで、ゆっくり休憩しました。出発は13:45です。

 話しが前後しますが、展望台といっても柵とか設置してあるわけでもなく、両サイドが切れ落ちて深い谷に突き出たちょっと危険な場所です。確かに眺めは良いのでしょうが、このときは霧が湧いていて、這いつくばって見たのですが、伽藍の谷はよく見えませんでした。それに、私は高所恐怖症ですから、いつ崩れるかもしれないこんなところに長居は無用です(^_^;)

 展望台へ行く途中にある奇妙な岩です。名札があり「親子亀」だそうです。なるほどねぇ、よく見れば見るほど絶妙なネーミングではありませんか!

 横引き尾根のツツジの植生には、興味深い傾向が見られます。つつじヶ峰との分岐をほぼ境にして、西はシロヤシオが多く、東はヤマツツジやミツバツツジが主になります(赤城に多いアカヤシオはここでは花が終わっていたので分かりません)。土壌的な他におそらく雪の量とかの地域的気候や日照量とかが影響しているのでしょうか?

 満開のトウゴクミツバツツジです。ミツバツツジとの見分けについては、詳しくは知りません。山のガイドブックなどではトウゴクとついていますから、おそらくそうなんでしょうねぇ(~_~)

 ヤマツツジはふつうミツバツツジの後に咲き出します。分岐から茶の木峠のあたりは、まだこれから楽しめるのかもしれません。

 茶の木峠の途中、枯れ木にびっしりカワラタケがついていました。かつて抗がん剤として注目されたこともあるそうですが、有毒成分があり食用にはしません。もっとも、こんなキノコを食べる人はいないでしょうけどね。

 昼食後スタートから20分くらいで茶の木畑峠に着きました。茶の木の畑がこんな山の中にあるわけないですよね。尾瀬のアヤメ平と同じように、他のものを茶の木と誤解したことからそういう名前になってしまったとか・・

 ここにはズミ(バラ科)の花が咲き始めていました。コリンゴともいわれ、小さな赤い実が成ります。リンゴの仲間ですから食べられますけど、せいぜい10ミリくらいのちいさな果実です。

 さぁ、下山開始です、14:15。最初は広々とした尾根を下ります。大猿公園まで1時間30分という表示がありましたから、あっという間に着いてしまうはずです。が、下り一方というのもけっこうシンドイですね。

 下りの途中にある「岳人岩」と「雨やどり岩」です。岳人岩は大きな岩ですが、さりとて変哲もない岩のように思えたのですが、大層な名前がついています。

 雨やどり岩も、だれが雨宿りするんじゃぁ〜ってほど。人間一人横になっても無理みたいな隙間が岩の下にあるだけです。

 この岩の前はちょっと広くなっているので、最後の休憩タイムをとりました。また、丸君がコーヒーを入れてくれました。

 小峰通りはほとんど下り一方で、つつじヶ峰通りより楽です。でも崩壊場所がないわけではありません。左の写真は沢の源頭部が崩壊して登山路の下がえぐれています。ここを通ったらフカフカ揺れたので、振り返って、やっぱりぃって思いました。道でなくなるのもなんだか時間の問題って感じですね。

 丸太の階段道が出てくるところで右折します。歩きにくい階段道を九十九折れに下ると、まもなく大猿公園の第2駐車上のところに降り立ちました。

 公園到着15:45でした。全員無事下山です。

大猿公園

帰路に、粕川の温泉施設に寄って汗を流しました。


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追記
 茶の木畑峠の地名について、青木清著『赤城山 花と渓谷』で同氏は茶の木畑山に登ったおり、「山頂の岩に立ってみると、回りにコゴメツツジの丸い株が群生して茶畑のようになっているので、これだなと納得する」(33頁)、また、「あたり一面がコゴメツツジの群生地となっている。膝ぐらいの丸い株はお茶の木に似ていて、これぞ茶の木畑であると合点がゆく」(84頁)と述べられている。
 「コゴメツツジ」は『日本の樹木』(山と渓谷社)にはないので、「コメツツジ」のことかと思われるが、この木を見て茶の木と誤解した先人(地名の名付け親)がいたのだろうか?
 私はこの地名をいわば「勘違い説」と今まで思っていたが、こんな山奥に入る昔の人たちが、茶とコメツツジの木を見間違うなんてことがあるだろうか。その疑問にたつと、むしろ「茶の木に似た木がまるで茶畑のように群生してるねぇ。そんじゃあ、ここを茶の木畑って呼ぼうぜ〜♪」と、よく承知した上で名づけたのではないかと、青木氏の記述を読みながら思いました。いわば「承知説」を推論してみました。